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つながるミーティングから派生した、 会員で行く「大人の社会見学」

EVENT
2014年10月28日
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秋の晴れた空の中、東京小金井市にある桜町病院の朝は静謐な空気に満ちていた。その中を進むと、そのホスピスはあった。「聖ヨハネ会ホスピス」。 手を広げたマリア様の像のまわりの小庭やベンチに落ちた秋の落ち葉は、毎日来られると言うボランティアの方たちによって、きれいに掃き清められ、この施設におられる、そして訪れる人たちを、静かに出迎える。 この施設の創設者の方がデザインされたという、温かみのある入口の木の扉を開くと、中は一言で表すと「こうした場所で人生の最期を迎えたいと、誰もが思う場所」だった。
6ボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」のタペストリーが掲げられた玄関の右側にある幅広い階段を上っていくと、図書室も兼ねたミーティングスペースがあり、そこで今回会員をお迎え頂いた聖ヨハネ会ホスピス医師大井裕子先生に、「看取り」ということについてお話しを頂いた。


その人は亡くなるその日に、
このホスピスで家族とともに最高の笑顔で写真を撮っていた

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ホスピスには、主にがんの末期をはじめとした余命が限られた方が、自分らしい人生の最期を迎えるために、入られている。
どのような方が入られているのか。一枚の写真がスクリーンに映し出された。笑顔で映る29歳のがん患者の方とそのだんなさん、そして女性のご両親や友人、そして聖ヨハネホスピスの医師やスタッフの方たち。
そして、大井医師から、この撮影をしたまさにその日に、この最高の笑顔で写真に写っている女性は亡くなったと説明を受けた。参加した私たちは衝撃を受けた。死の同じ日にこんな素敵な笑顔で本人やそのまわりにいる人たちがいられることなんて、あり得るのだろうか。もう余命いくばくもないとわかっていながら、こんな最高の笑顔でいられる環境、それはあまりにも雄弁にこの施設の素晴らしさを一枚の写真で物語っていた。

医療の現場は、生命を少しでも延ばそうとする。いわゆる延命治療が大前提となっている。それは医師として病院としてのミッションであり、当然のこと。しかしそれを選択するのか自分はどのように最期を迎えたいのかは、本人が選択できることであり、家族が選べることなのだと大井医師は説明をする。

死が避けられなくなった最期の数カ月~半年をどこでどのように過ごすのか、死は避けようもなく全ての人に訪れるもので、そのことに目をそむけようとしても、それはやがて自分の親や近親者にも起きることであり、どうやって看取るのかを考えることはこれからの高齢化社会の中で、ごく当たり前に考えておかなければならないことなのだという。

病院で最後を迎えるだけでなく、家で、そしてこうしたホスピス施設で、心穏やかに死に向き合う準備をする、そして家族はその事実に向き合う準備を進める。

ホスピスでは死を目前にした患者に「緩和ケア」を行ってくれる。そこには医師、看護師、ソーシャルワーカー、音楽療法士、ボランティアなどさまざまな方たちからなるチームが存在する。そして患者の「全人的苦痛」(肉体的、精神的、社会的、スピリチュアルの4つの苦痛)を和らげるケアを行っている。


施設見学
~こうした場所で人生の最後を迎えたいと、誰もが思う場所~

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施設の廊下はどこも広く、そして明り採りの窓から入る外光のおかげでほんのりと明るい。緑に囲まれた中庭には、レモンの木などの果樹や花々、そして水が流れ、おだやかな東京近郊の小金井市の空がどこまでも広がり、まるでここそのものが天国に一番近い場所のようだ。

暖炉がある広々とした円形のラウンジには夜はバーになるというコーヒーカウンターや4名でかけられるテーブルが置かれ、そこに集う人々が憩える場所として、おそらく多くの人々の人生の最期の「看取り」をしてきたのだと思われる。

大きな浴室が二種類あり、ひとつは体を動かすことさえできない人のためのスライド式のストレッチャーを用いてバスタブにつかるタイプのものと、歩くことは何とかできるかあるいは困難になってきた方の為に天井移動式つりさげ機(リフト)でバスタブまで移動できるもので、いわゆる温泉にある、大浴場のタイプのものとが用意されていた。いずれも入口にかけられているのは、まさに温泉の大浴場にかけられている暖簾で大きな字でひらがなの「ゆ」と書かれていた。ユーモアもあり、すべてにホスピタリティが満ち溢れていて、ここが医療施設付属のホスピス棟なのだという影はどこにも感じられない。

施設の中央部には小さなチャペルがあり、聖ヨハネ会としてのキリスト教の神に向き合える場所も用意されていた。

「どのような施設でも看取りができるように、そこでやすらかにこの世の最後の時間を過ごせるように考えられるべき。」大井医師は語る。

見学者である施設運営の方たちからの「なかなかそれは難しいこと」という反応に対して 「もし自分がそのような余命何カ月という状況になった時、自分としてはどうしてほしいか、治療行為を継続するのか、それとも残りの時間を自分の納得のいくように過ごすのか、そうした考えをカードに記載しておいたり、家族に話しておくことによって、自分の望む最期を過ごすことが誰にでもできる」と大井医師はさまざまな実例を教えてくれた。

超高齢化社会の医療のありかた、そして最後の迎え方
(介護福祉サービスのあり方)

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現在の医療は治癒すること自体が目的化し、もっとも大切な、いかに生きるか、という観点がなかなか議論の本質として語りにくい状況が起きていると言う。

家族にしても、どんなことをしても生き延びる確率を追い求めることが、患者本人の意思であり、そうしないこと自体がうしろめたく感じられる雰囲気が、現在の末期医療をめぐる大きな矛盾だと語る。「昔は食べられなくなることで次第に衰弱し、自然に死を迎えることになった。それが当然だったし、現在のように食べられなくなっても栄養を点滴で注入したりすることもできなかったので、食べられなくなったらもうあと少ししか生きられないという期間になり、あとはどうやって最後のときを迎えるかという本人や家族の死を迎える準備の時間になった。現在は最後の最後まで患者本人も必死に生きようとしなければ、家族にも申し訳ないような気持ちになり、苦しんだり悩んだりしながら、死そのものに向き合う時間を持てないまま、必死に生にしがみついたまま最期を迎えてしまうということも少なくない。それは本来のだれしもが迎えたい死に方ではない。あと何カ月と余命が見えたときに、あなたはどこでどんなふうに最後を迎えたいですか、という問いは生きている私たち全ての人に必ず訪れる避けようのない事実であり、常にそのことに答えを持って生きていることが、社会全体にとって必要なこと。」

大井医師の言われることは「いかに生命を持続させるかだけの治療」ではなく「人間としていかに死ぬか、そのために今をどう生きるかを前提とした治療」という、私たちがこれまで当たり前に考えていたことの根本の考え方をゆさぶる強いメッセージ性を持っていた。

これだけの施設なので、とても高い料金なのだろうと思ったが、入院費は健康保険制度が適用され、高額療養制度も適用される。大学病院などで個室利用する場合とさほど変わらないものだった。

私自身は母が余命を告げられた時、ホスピスを東京都や神奈川県であたったが、たまたま問い合わせをした施設は、いっぱいで入ることができないということであったが、こちらは併設された病院とも連携しながら運営されていることもあり、ホスピスにすぐに入れない患者を一般病棟で受け入れる態勢があるということであった。

朝からボランティアの方たちがお掃除をされていたり、見学中にご挨拶いただくスタッフの方たちの御愛想だけではない笑顔と、落ち着いた空間がいつまでも心に残った。もし最期を迎えるとしたらどこでどのように最期を迎えたいか、あらためて考えたいと思う貴重な機会をいただいた。

普段経験のできない、しっかりと死について考える濃密な時間を参加会員の方と一緒に頂いた。聖ヨハネ会ホスピスのみなさま、そして労をお取り下さった大井裕子先生に心から感謝差し上げたい。


見学を終えて

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ホスピスとは中世ヨーロッパで旅人や巡礼者の宿泊させた小さな教会のことを元々さしていたという。体調を崩して旅立つことができない人々をそのままケアや看病をしたことがホスピタリティやホスピタル(病院)の語源となったということなので、そもそも医療行為そのものというより、人へのケアや看る、あるいは手当をするという人間が人間への気遣いを行うということが、今日で言う病院やホスピスで行われているメディカルケアの出発点となっていたことが興味深いものでした。

20世紀に入り、イギリスやアイルランドから近代ホスピスの流れが生まれ、広がっていく。日本で初めてのホスピスは1973年から。そして約40年で国内200か所にホスピスの施設は広がっています。

肉体をただ延命させるのではなく、だれにも訪れる死とそのまわりの人たちとの別れ方、超高齢化社会を迎える私たちは、そろそろその答えを出し始めなければならないのかもしれません。

今回参加人数に限りがあり多くの会員の皆様全員にご案内できなかったことをお詫びいたしますが、機会があればぜひホスピス施設にふれてみることをお薦めいたします。


(取材、文章、写真 スモールビジネスデパート運営委員会 齋藤)

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齋藤真織

WRITER  齋藤 真織(Maori Saito)

人生が豊かに過ごせるために、やりたいことをカタチにするために、もっとビジネスを身近に活用できる社会実現のために、スモールビジネスデパート運営中。自らも多くの起業体験、現在も数多くのビジネスに携わっている

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